「令和7年度 諏訪神社秋季例大祭」天保年間から続く下仁田の伝統を体感

下仁田町

更新日: 2025年12月18日

群馬県西部に位置する下仁田町で、毎年10月中旬に行われる「諏訪神社秋季例大祭(下仁田秋まつり)」。 天保年間から続く歴史ある祭りで、町内七地区の迫力満点な山車や御囃子の競り合いが魅力です。

ここでは、地質学的に貴重な「ジオの町」としての側面と、鎌倉時代からの歴史を持つ諏訪神社の文化、そして豪華絢爛な山車と響き合う御囃子の世界を、祭り当日の様子とともに紹介します。

江戸の面影と地質遺産が残る下仁田町

ジオパークとして地質学的にも注目されている下仁田町

 

歴史情緒あふれる下仁田町は、かつて庶民や商人が下仁田街道(姫街道)を行き交い、大いに賑わった地域です。

中山道では碓氷峠の勾配や取締りが厳しかった一方、下仁田から信州へ抜ける複数のルートは比較的勾配が緩やかだったため、東西の物資が盛んに行き交いました。

当時は麻や米の問屋や麦・雑穀・絹・紙・薪などの商人、日用品を販売する店が立ち並び、町の中心部では九斎市が「2・5・9」のつく日に開かれ、活気にあふれていました。時代とともに形は変わりましたが、この伝統は山際春の市や雛市、暮の大市として、今でも受け継がれています。

「上町」、「仲町」、「下町」、「岡横町」などでは今も当時の面影を残しています。

 

下仁田町でみられる中央構造線

 

また、町の中には日本列島を東西に分る中央構造線が走り、様々な年代の地層や岩石などがみられることから日本ジオパークの一つにも認定されています。

悠久の歴史を紡ぐ諏訪神社

由緒・創建・御祭神について

夏に訪れた際の諏訪神社の様子

 

今回の祭りの舞台となる「諏訪神社」は、下仁田町の中心に鎮座する由緒ある神社。

元々は八幡神社として信仰されていましたが、鎌倉時代に領主・小幡尾張守が信州諏訪大社から分霊を勧請し、近隣八つの村の鎮守として祀ったのがはじまりとされています。

御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀賣命((やさかとめのみこと)、品陀和氣命(ほむだわけのみこと)。古代には狩猟や農耕の神、武士の時代には軍神、そして現在では産業・交通安全・縁結びの守り神として信仰されています。

 

明治41年(1908年)には近隣6村の15の神社を合祀し、下仁田町の総鎮守となりました。昭和に入ると、特産品のこんにゃくの豊作を願い、こんにゃく大黒天も祀られるようになりました。

 

歴史を刻む大けやきと豪華絢爛な社殿装飾

豪華絢爛な彫刻が施される

 

境内には、下仁田町指定天然記念物の大けやきの御神木があり、高さ25m、目通り5.5m、根回り7m、推定樹齢650年を誇る見どころの一つです。

諏訪神社の豪華で精巧な社殿は、江戸時代末期の天保8年(1837年)から弘化3年(1846年)にかけて造られました。本殿、拝殿、幣殿の3つからなり、本殿は信州諏訪出身で社寺建築の大隅流の名工「矢崎善司昭方」が手掛けました。拝殿・幣殿は、善司の次男「矢崎房之進昭房」によって建立されています。諏訪神社本殿は、天保12年(1841年)に没した矢崎善司の最晩年の代表作となっています。これらの社殿は、江戸時代末期に養蚕業が栄えたことを背景に建て替えられたものです。

精巧な彫刻も見どころの一つです。

拝殿正面の梁には、2頭の龍が絡み合い、一方がもう一方の首に噛みつく迫力ある姿が刻まれています。左右の柱と梁には、2頭の龍が巻きつく姿もみられますが、このような彫刻は非常に珍しく、他にはあまり例がないといわれています。

 

拝殿脇の障子彫刻にも注目です。左側には、親獅子が2頭の子獅子を千尋の谷へ突き落として鍛える場面が表現されています。右側には、山鵲(さんじゃく)と牡丹、そして滝の中から現れる唐獅子の姿も見られます。

天保年間から続く秋季例大祭

七つの地域が一つになり町が躍動する

幻想的な光に照らされる諏訪神社

 

秋季例大祭には上組(上町)、か組(川井)、よ組(吉崎)、な組(仲町)、下組(下町)、東組(東町)、旭組(旭町)の町内七地区から神輿と山車が参加し、町中を巡行します。

最大の見せ場は、山車同士がすれ違う瞬間に繰り広げられる御囃子の競り合い。互いに音と技をぶつけ合う迫力は、思わず息を呑むほど。山車を支える梶棒係の見事な操作も大きな魅力です。

山車の上では踊り子が華やかな舞を披露し、祭りを一段と盛り上げます。夜風に乗って響く御囃子と歓声が重なり、祭りの熱気は最高潮へと達します。

 

※例年は2日間にわたり開催されますが、2025年は荒天のため、初日の山車巡行が中止になり、10月12日に盛大に執り行われました。

 

江戸時代からの伝統を引き継ぐ山車文化

現代の祭りの形に引き継がれた豪華絢爛な山車

 

諏訪神社の神輿は、天保12年(1841年)の「天保の改革による引き締め政策」の影響で江戸での仕事を失った職人によって作られたと伝えられています。制作から150年後に修理され、現在も変わらず祭りの中心として活躍しています。

東京の山車の文化は近代化の影響を受け大きな変化を遂げていきます。市街地の発展で、高さのある山車が巡行しにくくなり、徐々に神輿中心の祭りになっていきました。

その一方で下仁田町では明治39年(1906年)に仲町地区が東京・石浜神社から人形山車を譲り受けたことをきっかけに町では独自に山車の制作が進み、現在の豪華な祭りへと発展を遂げたのです。

 

山車文化を未来へ ー石浜神社との縁をつなぐ「里帰り」

里帰りを果たした初代山車の展示

 

譲り受けた後、しばらく保管されていたこの山車は、有志による「石浜神社里帰りプロジェクト」で修復され、楠正成公の人形を載せると高さ5.5m・長さ4.8m・幅2mにもなる立派な姿に。

石浜神社鎮座1300年記念神幸祭に合わせ、2024年5月26日に「118年ぶりの里帰り」が実現し、多くの観客が見守る中、荒川区・台東区の氏子区域を巡行し、大きな注目を集めました。

 

修復と里帰りの様子

 

今回の諏訪神社例大祭では、この石浜神社で巡行した山車が仲町地区へ戻り、会場でも展示されていました。

 

祭り当日の様子

諏訪神社前の駐車場で御囃子をならす山車

 

筆者がお邪魔したのは10月12日、お神輿は町内巡行を終えた後でしたが、諏訪神社では御囃子をならしている山車の姿がみられました。

 

諏訪神社前に集まる各地域の山車

 

山車が集まり出発式・神事が行われ、秋季例大祭がスタートしました。

 

神事の様子

 

昼の部の様子

 

昼の部が始まり、山車が町中を練り歩き、華麗な姿と御囃子を披露します。

 

人々で賑わう町営無料駐車場

 

盛り上がりを見せる音楽ライブ

 

下仁田町営無料駐車場では、御囃子が演奏されたり、キッチンカーでのグルメ販売、アーティストが音楽ライブを行い、お祭りを盛り上げていました。

 

幻想的な光を放つ夕暮れ時の山車

 

日が暮れ始めると提灯に火が灯り、幻想的な雰囲気を醸し出します。

 

迫力溢れる御囃子の寄り合い

 

夜の部では迫力満点の御囃子が競り合い、熱気の渦と歓声が重なり合って、祭りのボルテージは最高潮に。

 

再び広場に集まる各地域の山車

 

諏訪神社前の駐車場に全ての山車が集まって行う御囃子披露は圧巻!人々の歓声に包まれます。

 

手締め式

 

お祭り関係者の手締め式で、諏訪神社秋季例大祭は静かに幕を閉じたのでした。伝統と地域の誇りに包まれた一日、町全体がひとつになり、深い感動に包まれました。

インフォメーション

チラシ

 

令和7年度諏訪神社秋季例大祭(下仁田秋まつり)

日時:2025年10月12日(日)

神輿渡御 8時00分

出発式  13時40分

山車巡行(昼の部) 14時00分

山車巡行(夜の部) 17時00分

御囃子披露      19時35分

手締式 20時10分

解散  20時30分

場所:諏訪神社、下仁田町市街地

下仁田町:https://www.town.shimonita.lg.jp/kanko/m03/m06/m01/03.html

※開催日は年によって異なります。

 

観光ぐんま編集室

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