「太平記のふるさと」は名将・新田義貞公を生んだパワースポット?!【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】
更新日: 2024年03月29日
群馬県の魅力をぐんま観光県民ライター(ぐん記者)がお伝えします!
「歴史に名高い新田義貞」のふるさと・太田市にパワースポットがある?! 新田義貞をご存じですか。鎌倉時代末期に群馬県太田市で挙兵し、鎌倉幕府を倒したレジェンド武士です。1991年NHKの大河ドラマで「太平記」が放送された際には、新田義貞の生地太田市では「太平記ブーム」が巻き起こりました。
「太平記」に登場する武将・新田義貞は、上野国新田荘(群馬県太田市、みどり市、伊勢崎市、深谷市)の荘園主でした。室町幕府を開いた足利尊氏と並ぶ名門の家柄ながら無位無官だった義貞は、太田市にてわずか150騎で挙兵し、討幕の奇跡を果たします。難攻不落の天然要塞と言われた鎌倉を攻めあぐねた義貞が、黄金の太刀を海に投げて潮を引かせた稲村ケ崎の伝説は神がかり的な名場面として知られています。
義貞は、武に長け、義に篤く、仲間や部下に恵まれ、強運に導かれて奇跡の討幕を果たしました。京では後醍醐天皇に重用され、絶世の美女、勾当内侍(こうとうのないし)を妻に迎えますが、後ろ髪を惹かれながら最愛の妻と別れて戦地へ赴きます。混迷を極めた南朝北朝時代。裏切りや策略の中で辛酸を舐めながら誠心誠意の忠義を貫き、戦の中で散りました。挙兵から戦死まで五年余り。故郷には一度も帰らなかったそうです。太く短く、桜の花が散るような人生でした。泣ける。
この記事では、太田市在住のぐん記者サイトウが愛すべき郷土の英雄、新田義貞と一族にまつわる不思議な伝説を追いかけました。
画像:太田市立新田荘歴史資料館 Ⓒキラユキエ
新田荘歴史資料館
太田市にある「新田荘歴史資料館」は、「太平記」の英雄、新田義貞や一族に関する歴史や資料を展示しています。館内には、「新田家伝来」の見事な甲冑が展示されています。室町時代のものだそうです。義貞公の名場面を描いた華やかな錦絵(木版画)が展示されています。錦絵に描かれた勇壮な義貞像と実際の甲冑を見比べながら、往時を想像して楽しむことができます。NHK大河ドラマ「太平記」で使用された甲冑も展示してあります。子供たちに人気があるそうです。
新田家伝来の鎧兜 Ⓒキラユキエ
NHK大河ドラマで使用された鎧兜 Ⓒキラユキエ
館内の名物はなんといっても「新田猫絵」です。新田家の末裔である岩松家のお殿様が描いた「まじない絵」です。養蚕の大敵であるネズミよけのお守りとして、四代にわたって描き続け「猫絵の殿様」と呼ばれました。近年の猫ブームも影響し「新田猫」の企画展を開催すると来場者が増えるというご利益があるそうです。猫絵のパワーは健在なのですね。
新田猫・新田温純作 Ⓒキラユキエ
新田猫・新田徳純作 Ⓒキラユキエ
新田猫・新田道純作 Ⓒキラユキエ
隣接する歴史公園内の「蓮池」は、池の底が竜宮城につながっているという伝説があります。欲しいものを書いた紙を投げ入れると、浮き上がってきたそうです。ある時、立派な蚊帳を借りて返さなかったところ、それ以降は貸してもらえなくなったのだそうです。このような民話は「貸し椀伝説」と呼ばれ、全国各地に類似の民話が残っているそうです。物が貴重だった時代、借りたものを返さない不届き者を戒める意味があったのかもしれません。
太田市立新田荘歴史資料館
住所/群馬県太田市世良田町3113-9
電話番号/0276-52-2215
営業時間/9:30~17:00(入館は16:30迄)
休館日/月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
入館料/200円(団体20名以上160円)
旗揚げの地「生品神社」
太田市新田市野井町にある生品神社は、1333年5月8日、後醍醐天皇の綸旨(命令)を受けて討幕を決意した新田義貞が兵を挙げた神社です。「勝負運」の御利益がある神社として信仰されています。
古い歴史を持つ神社は木々に囲まれ、とても静かです。鳥居をくぐって敷地内に入ると雰囲気が変わります。清らかな空気に包まれ、気分が落ち着いてきます。拝殿で手を合わせて目を閉じると「(義貞公のように)自分を信じて我が道に進むべし」という前向きな気持ちになれます。「迷った心を整えるパワースポット」です。
境内には、義貞が旗を掲げた「旗挙塚(はたごづか)」や出陣の儀式を行ったとされる「床几塚(しょうぎづか)」、軍旗を掲げたと伝わるクヌギの切り株が残っています。
生品神社 境内
生品神社 床几塚(左)旗挙塚(右)
2010年に新田義貞公の銅像が盗難されました。心を痛めた有志が力を合わせ多額の寄付金を集めて2012年に再建しました。銅像の作者は、脇屋義助(義貞の弟)の24代目の子孫、彫刻家の脇谷幸正氏です。神社を大切に守る地域住民と新田氏の末裔が新しい伝説を紡いだのです。銅像の除幕式は、旗挙げさながらの盛り上がりだったことでしょう。
生品神社 新田義貞像(左)御朱印(右)
由緒ある生品神社は地域の誇りであり、心の拠り所として氏子たちの力で大切に守られています。毎年5月8日には旗揚げの故事にちなみ、地域の児童が鎌倉に向かって矢を放つ「鏑矢祭」が行われます。子供たちが義貞公の歴史を知り、愛郷心をはぐくむ大切な行事となっています。
生品神社
住所/群馬県太田市新田市野井町645
電話番号/090-7637-2556(神主高橋さん)
営業時間/24時間
定休日/なし
明王院
呑嶺山明王院安養寺は、不動明王を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。
寺伝に寄れば1061年に源頼義が開祖(新田義貞の先祖)し、なんと千年以上の由緒を持つ寺院です。新田一族にゆかりの深い寺院であり、ここに祀られた不動明王像には不思議な伝説があります。
1333年の新田義貞の挙兵の際に、不動明王像が山伏に化身して一夜にして触れ回ったという伝説から「新田触不動(にったふれふどう)」と呼ばれています。山伏より義貞決起の報を受けた越後の新田一族がいち早く合流できたことが鎌倉での勝利につながったのです。境内には、不動明王を刻んだ「千体不動塔」があります。壮麗なピラミッド型の石塔です。
明王院 千体不動塔 Ⓒキラユキエ
明王院は、2023年に「PYRAMID CAFE AND ROASTERY(ピラミッドカフェアンドロータスリー)」がオープンしました。調理師の資格を持つ副住職がお寺の家庭菜園のお野菜や地元農家さんの食材で手作りするランチが名物です。自家焙煎コーヒーには、不動明王様のご加護を感じる力強さがあります。開放感のあるモダンな建物は副住職がデザインされたそうです。ランチは予約優先です。空きがあれば入店できますが、基本的に予約がおすすめです。なお、14時以降のカフェタイムはふらっと来て入店出来ることが多いとのことです。千年近い歴史のある明王院は、カフェという新しい形でまちに開かれています。
ピラミッドカフェ ランチ Ⓒキラユキエ
ピラミッドカフェ ランチ Ⓒキラユキエ
ピラミッドカフェ 店内 Ⓒキラユキエ
自家焙煎コーヒー Ⓒキラユキエ
バリスタ 青木秀蕗さん Ⓒキラユキエ
副住職 島田仁さん Ⓒキラユキエ
呑嶺山明王院安養寺
住所/群馬県太田市安養寺町200-1
電話番号/0276-52-0735
拝観時間/開門閉門なし
https://www.myo-o-in.com/
PYRAMID CAFE & ROASTERY
住所/太田市安養寺町200-3
電話番号/なし
営業時間/平日11:30オープン、土日祝12:00オープン
ランチ12:00~14:00(予約優先)ランチラストオーダー13:30
カフェ14:00~17:00(食事なし)※時短営業有
定休日/火水木(お寺の行事等で臨時休業も有)
問合せ:LINE公式アカウント
https://page.line.me/pyramidcafe
太田市立縁切寺満徳寺資料館
「満徳寺」は徳川家康の孫娘である千姫ゆかりの縁切り寺です。満徳寺は鎌倉時代に建立され、新田一族が住職を務めました。徳川家康が徳川町を祖先の地として保護し、孫娘の千姫を入寺させ豊臣家と離縁させたことが縁切寺の由緒となっています。
満徳寺 御朱印 Ⓒキラユキエ
江戸時代、夫から離縁状をもらえない妻でも、江戸幕府の庇護を受けた満徳寺に駆け込めば、離婚することができたのです。虐げられた女性の「アジール(避難所)」であった満徳寺は、現世から隔絶された特別な場所でした。女性は最大3年(のちに2年)を寺で修行すれば晴れて離婚が成立し、再婚も可能になったそうです。
縁切寺は、満徳寺と鎌倉の東慶寺だけ。どちらも江戸幕府の保護下にあったことで、治外法権的な制度が成立しました。世界的にも珍しく「世界に二つしかない縁切寺」だそうです。
満徳寺は、江戸幕府の崩壊により明治5年に廃寺となった後も、地域では本尊や墓地が守られていました。再建された縁切寺満徳寺資料館は、縁切寺の歴史を学ぶ施設です。寺院としての機能はありませんが、お寺と共に再現された駆込門があります。門の前に立つと、暴力をふるう夫から逃げ、門に草履を投げ込んで助けを求めたという女性たちの姿が目に浮かびます。
満徳寺 駆込門 Ⓒキラユキエ
初代館長・高木侃先生は、縁切寺を「悪縁を切り、良縁を結ぶ寺」と位置づけました。「縁切札」に切りたい悪縁、「縁結札」に良縁への願いを託し、トイレに流すというアトラクションがあります。縁切寺を知ることで、悩み多き現代人にも自ら行動する大切さを伝えたいという設立者の願いがこめられています。訪問時にはぜひ挑戦してみて下さい。
縁切札・縁結札 Ⓒキラユキエ
太田市立縁切寺満徳寺資料館
住所/群馬県太田市徳川町385-1
電話/0276-52-2276
営業時間/9:30~17:00(入館は16:30迄)
休館日/月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
入館料/200円(団体20名以上160円)
金山城跡
金山城跡は太田市の中央に位置する金山(標高239m)に造られた大規模な山城です。1469年に新田氏の後である岩松家純によって築城され、由良氏の時代に十数回の攻撃を受けるも落城しなかったことから「不落の城」と呼ばれています。1590年に廃城となった後は将軍家御林(おはやし)となり、松茸を献上していました。
金山城跡 日本100名城® 石碑(左)、石敷き通路(右)
御林として大切に守られたことで山城の遺構が良好に保存されたのでしょうか。発掘された石敷き通路や石垣の見事さは不落の城として敵方を悩ませた往時の威容を感じさせます。標高はわずか239mですが、見晴らしは抜群です。
金山城跡 石垣
関東平野を一望できる物見台、敵を惑わす迷路となる馬場下通路、侵入を阻んだ大堀切、敵を威嚇した壮大な大手虎口など金山城跡には見どころが満載です。
金山城跡には、聖なる池と呼ばれる「月ノ池」「日ノ池」があります。丸い水面に木陰が映って揺れる姿はことのほか美しく、慣れない山道を歩いてきた散策者を清涼剤のように癒してくれます。二つの池は貯水池としてだけではなく、雨乞いや戦勝祈願を願う祭祀の場であったようです。
金山城跡 月ノ池(左)、日ノ池(右)
金山城跡は2006年に「日本100名城®」に選出され、全国から本を片手に訪れる愛好家が絶えません。日本百名城のスタンプはモータープールから30分ほど歩いた「南曲輪休憩所」に設置されています。
太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設は、金山城の歴史を学べるコーナーがあります。建築家隈研吾氏が設計した建物と共に一見の価値があります。
金山城跡(かなやまじょうあと)
住所/群馬県太田市金山町40-106
定休日/なし
太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市立金山地域交流センター
住所/群馬県太田市金山町40番30号
電話番号/0276-25-1067
営業時間/9:30~17:00(入館は16:30迄)
休館日/月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
入館料/無料
取材協力:太田市教育委員会文化財課
齊藤あおい