鎌原観音堂
天明3年の浅間山大噴火により、鎌原村は土石なだれによって流されてしまった。この観音堂は丘にあったため残ったもので、当時50段あった石段は、上から15段を残して埋まってしまった。爆発と同時にここへ難をのがれて、当時住んでいた570人の内、助かった村人はわずか93人だった。
天明3年の浅間山大噴火により、鎌原村は土石なだれによって流されてしまった。この観音堂は丘にあったため残ったもので、当時50段あった石段は、上から15段を残して埋まってしまった。爆発と同時にここへ難をのがれて、当時住んでいた570人の内、助かった村人はわずか93人だった。