歴史にダイブする国境の宿場・新町宿|サムライロード中山道を歩く①【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】
上州の始まり。侍も町人も川を越えて歩いた中山道・新町宿
<群馬県「中山道上州七宿めぐり散策図」から>
幅広い神流川(かんながわ)を渡ると、群馬県内で最初の宿場町・江戸から数えて11番目の新町宿が現れます。現在の埼玉県本庄市と群馬県高崎市新町の間を流れるこの川は、江戸時代には武蔵国と上野国を分ける国境線でした。本能寺の変の直後、織田方の滝川一益と北条氏直・氏邦が激突した「神流川の戦い」の舞台としても知られています。
承応3年(1654年)に公認された新町宿は、中山道六十九次の中では比較的新しい宿場町です。とくに加賀藩前田家など、信越・北陸諸国の参勤交代を支えた主要街道でもありました。天保14年(1843年)の記録では旅籠数43軒、本陣2軒、脇本陣1軒と、群馬県の中山道の中でも2番目に旅籠が多い宿場として栄えました。
※本陣......大名や公家、幕府の役人など身分の高い人が宿泊・休憩した公的な専用宿舎
※脇本陣......本陣が満室のときの予備として使われた宿舎

<この国道17号の先は、神流川と埼玉県本庄市>
洋菓子の城と古戦場跡、県境に立つ2つの顔から始まる旧中山道
<神流川古戦場跡碑。昔は何もなく神流川だけだったのかもしれない>
新町駅から神流川へ向かうと、県境に現れるのは洋菓子店ガトーフェスタ ハラダの本社です。まるで宮殿のような建物が目を引くその裏手、線路沿いには「神流川古戦場跡碑」が立っていました。群馬県が発行している「中山道上州七宿めぐり散策図」新町宿の名所1番目に記されたこの場所から、新町宿散策がスタートします。
本庄市を背にして旧中山道に足を踏み入れると、最初に現れるのが新町宿常夜灯です。常夜灯には江戸まで二十四里、信濃国(長野県)との国境・碓氷峠まで十一里の距離が刻まれていました。現存の灯籠は昭和53年の再建ですが、江戸の頃からここに灯がともり、かつて旅人たちが同じ場所で道のりを確かめていたのかもしれません。
※一里は約3.93キロメートルで、半刻(約1時間)で歩ける距離とされていた。江戸までは約94キロメートル、碓氷峠までは約43キロメートル。

<写真の左手側の道路が国道17号。右手側の道路が、旧中山道>

<常夜灯を見て、ここから碓氷峠まで歩いていたのだと、距離の長さを実感した>
松尾芭蕉も歩き、明治天皇も巡幸。歴史を見守り続けた旧道の面影
<新町八坂神社と芭蕉句碑。かつてここに柳茶屋があり旅人の休憩所になっていた>
芭蕉の句碑、高札場(こうさつば)の跡——新町宿を歩くと、旧中山道を歩くだけで何枚もの立札が現れます。旧中山道沿いには、今立っている場所にかつてあった歴史スポットを紹介する案内板が点在しており、まるで街全体が歴史資料館のようでした。
最初に現れる八坂神社には松尾芭蕉の句碑が残り、さらに進むと諏訪神社の本殿には新田義貞の姿が彫られています。ガトーフェスタ ハラダ 中山道店(シャトー・デュ・ローブ)の前には「高札場(こうさつば)」跡の立札を発見。華やかな建物とは対照的に、ここがかつて幕府の法令を掲げる場所だったと知ると、現代と江戸が重なって見えます。
行在所公園に隣接するのは、明治11年に明治天皇が実際に宿泊した「明治天皇新町行在所(あんざいしょ)」です。数百年にわたる歴史が、一本の道の上につながっていることを実感します。
※高札場......情報の伝達手段として、幕府や領主が決めた法度や掟書が書かれた木の板の掲示板

<行在所公園には、歌川広重の『木曾街道六拾九次』の浮世絵が飾られている。背景の山は赤城山>

<高崎市指定文化財の明治天皇新町行在所。新町ひな祭りではメイン会場となっており、ひな壇が並ぶ>
赤い鳥居の先で出会う祈りの場、於菊稲荷神社。中山道の御宿場印を記念にして
<於菊稲荷神社で旅の無事を祈ろう>
明治天皇新町行在所から北へ進むと、朱色の鳥居が並ぶ於菊稲荷神社が見えてきます。石畳が続く参道は穏やかな雰囲気が漂っていました。
於菊稲荷神社は天正10年(1582年)の神流川の戦いの後、北条氏によって再建されたと伝わる神社です。当初は宿場町関係者の参拝が中心でしたが、1750年頃に広まった新町大黒屋の遊女・お菊さんにまつわる伝説をきっかけに、遊女たちの参拝も増えていったといわれています。境内には当時の風俗を伝える、絵馬「遊女参詣」も現存しています。近年は病気平癒の祈願に、遠方から訪れる方もいるそうです。
参拝後は、中山道新町宿の御宿場印をいただきましょう。新町宿の御宿場印は、於菊稲荷神社を含め8か所の販売所で購入できます。ひな祭りの時期には、8代将軍吉宗の時代に作られたという約1メートルある享保雛が本殿に飾られ、江戸から続く時間を感じさせてくれます。

<絵馬「遊女参詣」。幕末から明治にかけて活躍した絵師・狩野美信と伝わる。袖には遊女たちの名前が記されている>

<文政6年(1823年)建造の旧手水舎には、季節の花手水とお菊さんがお出迎え>

<画像提供:於菊稲荷神社様より。ひな祭りに飾られる享保雛。拝殿の天井画にも目を奪われる>
小林本陣跡から弁財天社。立札の向こうに消えた本陣や江戸の街道を見る
<小林一茶宿泊の高瀬屋跡の立札。向かいには久保本陣があったらしい>
於菊稲荷神社から行在所公園へ戻り、再び旧中山道を歩きます。道路を挟んだ向かいに現れるのは、小林一茶が宿泊したと伝わる高瀬屋跡の看板。さらに歩くと、民家が立ち並ぶ街並みの中に、突然「小林本陣跡」の立札が現れます。何気ない生活道路の途中に、かつての旅籠屋や本陣があったという事実が江戸時代への想像をかきたてます。
新町宿最後の見どころは弁財天社で、ここにも芭蕉句碑が残されていました。ここには、かつて「緑の清水」と呼ばれる湧水が湧き、旅人の渇きを癒したと伝わります。木々に囲まれた弁財天社は、川のせせらぎも聞こえる静かな空間です。すぐ脇を流れる川を覗き込めば、鯉やカルガモが見られるかもしれません。
弁財天社を過ぎて倉賀野宿へ向かうと、すぐに藤岡市に入ります。新町宿の散策はここで一区切り。新町駅へ戻れば、徒歩の旅はここまでです。

<小林本陣跡。大名や公家が泊まる、最も格式の高い宿だった>

<弁財天社。芭蕉の句碑がここにもある>
サイクリングロードを歩き、烏川を越えると倉賀野宿
<写真右手側が旧中山道。歩いていくとサイクリングロードへ出る>
歩いて倉賀野宿を目指す場合は、烏川沿いのサイクリングロードを通りましょう。新町駅から倉賀野駅までは約5.9キロメートル(1里18町)。新町駅から神流川古戦場跡、旧中山道をたどってきた場合、倉賀野宿までの総距離は約10キロメートルに達します。思った以上に歩いていることに気づくのは、喉の渇きを覚えた頃かもしれません。
サイクリングロードから烏川を渡ると、高崎市倉賀野に入ります。ここにも江戸時代を今に伝える隠れスポットがあります。旧中山道・県道121号を歩き新柳瀬橋北の交差点を下りた先にあるのが、飛脚の墓と呼ばれた梅の木大神の碑です。言い伝えによれば、加賀藩の早飛脚がこの地で急死したため葬られた場所だとか。旅人たちはそばの梅の木に草履をぶら下げ、旅の無事を祈ったといわれています。

<サイクリングロードをひたすら歩く。烏川まではまだまだ>

<飛脚の墓(梅の木大神)>
武蔵国との国境にある新町は、上野国の最初の宿場町として戦国から江戸、明治、現代という幾重もの時間が重なる町でした。新町宿を歩くと歴史が教科書の中ではなく、暮らしのすぐそばに残っていることに気づかされます。
次回は烏川を越え、倉賀野宿へ向かいます。新町で見えた江戸の気配は、どう変わっていくのでしょうか。
インフォメーション
明治天皇新町行在所
住所:群馬県高崎市新町2822
於菊稲荷神社
住所:〒370-1301 群馬県高崎市新町247
電話:0274-42-3303
授与所受付時間:9:30〜16:00(11:50〜13:00はお昼休みをいただいております)
定休日:不定休
HP:https://okiku-inari.jimdofree.com/
Instagram:@okiku.inari
弁財天社
住所:群馬県高崎市新町2602
飛脚の墓(梅の木大神)
住所:群馬県高崎市倉賀野町
群馬県 中山道を歩く「中山道上州七宿めぐり散策図」より
https://www.pref.gunma.jp/page/18421.html
高崎観光協会「中山道御宿場印めぐり」より
杜澤こさゆ