群馬ゆかりの幕臣 小栗上野介
更新日: 2026年05月20日
日本近代化の礎を築いた小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)
譜代の旗本に生まれ、遣米使節として米国から世界一周の旅から帰国すると外国、勘定、江戸町、歩兵、陸軍、軍艦、海軍各奉行を歴任。幕府の要職にあって米国での見聞を基に日本近代化の方策を実行に移し、横須賀造船所建設、仏語伝習所や日本初の株式会社兵庫商社の設立、仏式軍隊の導入訓練、滝野川反射炉による大砲製造のほかガス灯・郵便制度・鉄道・新聞発行を提唱するなど幕末の多端ななかに活躍、「明治の近代化は小栗の敷いたレールの上になされた」といわれる業績を残しています。

幕府崩壊後、移り住んだ領地権田村(現 高崎市倉渕町)で、上野介、塚本真彦・荒川祐蔵・佐藤藤七とアメリカ帰りの四人が若者の教育を目指しました。しかし、小栗公の実力を恐れた西軍により小栗父子は家臣とともに無実の罪で斬首されました。
村人は夫人・母堂らを護衛、山河はるかに野反湖から新潟そして、会津へ逃れ、会津で生まれた女児とともに、戊辰戦争後に静岡まで送り届けその遺族を護った。それは何の報償も求めぬ義挙だったのです。
関連ページ:
高崎市観光情報サイト「大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公 小栗上野介忠順」
https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/sightseeing/76535.html
小栗上野介ゆかりの史跡
無実のまま斬首されるまでの64日間を過ごした倉渕権田地区。ここには数多くの史跡があります。
観音山小栗邸跡(高崎市倉渕町権田地内)

観音山小栗邸跡

春には美しい花々が咲き誇る(高崎市提供)
江戸から権田村に隠棲した小栗公は、東善寺を仮住まいとし、観音山に田畑と用水路を開発し、邸宅の普請を進めました。しかし、それも、西軍から「陣屋等厳重に相構え」と追討の口実となり、完成には至りませんでした。 現在、屋敷跡には礎石が残されており、また、小栗公が建てようと準備した家の資材は、前橋市総社町の都丸邸で活用されています。
小高(こたか)用水(高崎市倉渕町権田地内)

当時の水路は現在も使われている

この水路が今でも倉渕のお米を育んでいる
小高地区は水利に恵まれず、水田耕作は困難を極めていましたが、小栗公は村人のために関沢川 を検分し、近代式測量で用水路の場所を決め、村人の掘削により完成させました。 以来、交替の水番により水路の管理を行ない、現在に至っています。延長1,260m。
小栗上野介忠順終焉の地 (高崎市倉渕町水沼地内)

水沼川沿いに建立された顕彰慰霊碑

「偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる」との文字が刻まれる
小栗公と家臣3人は、何の取り調べもなく水沼の烏川河原において斬首されました。 終焉の地には、「偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる」と刻まれた顕彰慰霊碑が、地元の有志らによって建てられました。
小栗上野介忠順らの墓(高崎市倉渕町権田 東善寺(とうぜんじ)内)

家臣の墓

小栗上野介の本墓
小栗公の菩薩寺である東善寺境内には、小栗上野介忠順の墓、小栗又一忠道(小栗公の養嗣子)の墓、小栗公と共に水沼の烏川河原で斬首された家臣(荒川裕蔵、渡辺太三郎、大井磯十郎)3名と、高崎城で又一と共に斬首された家臣(塚本真彦、多田金之助、沓掛藤五郎)3名の墓があります。
姉妹観音(高崎市倉渕町岩氷地内)

水沼川沿いに移設された姉妹観音

由来が刻まれた石碑
小栗家用人の塚本真彦の家族6人(母、妻、長女、次女、三女、長男)は、権田村から親戚を頼って七日市藩ヘの脱出にあたり、母と長女、妻と次女・三女・長男の二組に分かれて行動しました。 母と長女は、途中で道に迷い、地蔵峠(松井田との境)付近で自害し、東善寺に葬られました。 妻と3人の子どもは、共倒れを避けるため、次女、三女の2人を相間川に沈め、家督を継ぐべき乳児の長男だけを背負い無事脱出したのです。後に、この姉妹の慰霊のため、相間川のほとりに姉妹観音が建てられ、 今では、「塚本一家の悲劇」として語り継がれています。

関連ページ:
高崎市観光情報サイト「小栗上野介の関連史跡」
https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/sightseeing/78704.html
法輪寺(館林市)

首級が届けられた法輪寺(館林市提供)

法輪寺案内板(館林市提供)
斬首された後、小栗上野介と養子である又一の首級(しゅきゅう)は総督府の本営が置かれていた館林市の法輪寺へ届けられた。総督岩倉具定の首実検を受けた後、法輪寺に葬られました。権田村の村役人中島三左衛門(のち誉田三平次)らは、父子を供養することを期し、首級の奪還を企て、一周忌にあたる明治二年四月六日に、法輪寺境内に忍び込み首級を掘り出しました。忠順の首級は権田村に持ち帰られ、同村東善寺の裏山に埋葬されました。
法輪寺:https://maps.app.goo.gl/RMpbNwZcmPW6zcxFA
小栗清水(中之条町)
群馬県吾妻郡中之条町、野反湖へ向かい和光原の集落を過ぎた国道405号線を左に折れたところに清澄な湧き水があります。
明治維新の動乱に際し権田村に隠せいし、明治維新軍に罪なくして殺された後、小栗上野介の夫人道子・母堂らは慶応四年閏四月、村人に護衛されて権田を脱出、入山村(現 中之条町六合地区)和光原(ヤマニ方)に逗留の後、野反湖畔より新潟・会津へ逃れる途中、この清水で渇を癒したといわれています。後年村民が当時を偲び、小栗清水と名付けました。
※未舗装の山道となるため、アクセス時には注意が必要です。
小栗清水:https://maps.app.goo.gl/epQWUS7zp36Anu1n6
小栗上野介の功績や生き様を学ぶ
小栗日記に刻まれた四七四日の軌跡

474日が綴られた小栗日記
外国奉行や勘定奉行などの要職を歴任し、幕政の中心で活躍した 小栗上野介忠順。開国という信念のもと数々の改革を進めた彼は、なぜ志半ばで挫折したのか。そして幕閣を退いた後、なぜ官軍によって処刑されるという最期を迎えたのか。晩年に記された474日間の日記は、激動の時代を生きた小栗の人物像と、その知られざる実像に迫ります。
小栗かるたで伝える生涯と功績

小栗上野介顕彰会作成「小栗かるた」

功績や人生について学ぶことができる
小栗上野介の生涯や功績をより多くの方に知ってもらうため、小栗上野介顕彰会が企画し、令和6年度に小栗かるたは完成しました。
令和元年ごろから作成の検討を始め、令和3年には読み札を全国から公募すると、県内外から計966点の応募があり、顕彰会での選考を経て44点の読み札が決定。絵札は漫画家の木村直巳さんが担当、かるたの解説は小栗公の菩提寺東善寺の村上泰賢住職が作成しました。
関連ページ:
高崎市観光情報サイト「小栗かるた」
https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/sightseeing/88156.html
道の駅くらぶち小栗の里
地元の名産品が数多く並ぶ直売所

小栗の名前にちなんで付けられた道の駅

直売所には豊かな自然の中育てられたお米や野菜などが並ぶ
2014年に誕生した「道の駅くらぶち小栗の里」。倉渕地域で栽培された新鮮な野菜や農畜産物や加工品、お土産などが並ぶ農産物直売所や、地元の食材を使用したグルメを味わえる食堂、カフェも充実しています。
小栗にちなんだグルメも堪能できる食堂やカフェも併設

明るい日差しが差し込むカフェ店内
1階には「食堂おもてなし処小栗」があり、倉渕産の食材や、小栗公とゆかりのある神奈川県の食材を使ったメニューなどが充実しています。また、2025年11月21日には2階に「田圃cafe」が誕生し、小栗公との縁と地域の魅力を味わえるメニューが話題を呼んでいます。
関連特集:
道の駅くらぶち小栗の里に「田圃cafe」誕生!倉渕×横須賀の歴史が繋ぐご当地グルメ
https://gunma-kanko.jp/features/373
高崎市小栗プロジェクト推進協議会認定お土産品も並ぶ

道の駅くらぶち小栗の里に並ぶお土産品

現在認定されているお土産品は13種類
高崎市では『高崎市小栗上野介プロジェクト推進協議会』を結成し、お土産品の認定も行っています。現在認定されている19品目の中には、倉渕地区でしか手に入らないものもあります。
また、小栗上野介とゆかりの深い横須賀にちなんだお土産品も並び、歴史的なつながりを感じられます。
関連スポット:
道の駅 くらぶち小栗の里
https://gunma-kanko.jp/spots/605