勝者によって捻じ曲げられた歴史 小栗上野介忠順【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】
倉渕町権田にある東善寺。小栗上野介の墓、遺品などがあります。
<東善寺 平日に拝観する人も増えているとのこと>
お話を聞かせて下さったのは、東善寺の住職・村上泰賢さんです。村上住職は、小栗上野介の功績を正しく伝えたいという思いから、多くの書籍を発行するとともに関心のある方に向けての講演活動も行っていらっしゃいます。村上住職は最初に「明治以来学校で学んだ歴史は勝者によって作られたもの。隠された側から見ると、物事はすべて違って見える」と話してくださいました。確かに、司馬遼太郎が「日本近代化の父」と呼ぶほどの小栗公の功績、例えば横須賀造船所の設立や日本最初の株式会社設立、日本で最初の兌換紙幣の発行など、日本近代化の基盤となったものを作ったのが小栗公であることはあまり知られていません。それほどの功績を残しながら、罪状もないまま斬首に至った経緯には今なおさまざまな見方があり、多くの人が関心を寄せています。村上住職が「官軍」ではなく「西軍」「新政府軍」と呼ぶのも気になります。
謎だらけの小栗上野介。村上住職の話を伺いながら、遺品館・お墓・本堂を回っていきましょう。
小栗公遺品館。小栗公の遺品や斬首の際に乗せられた駕篭等があります。
<捨て駕篭 小栗公が乗せられ、斬首後に河原に捨て去られた>
こちらの遺品館、ドアを開けてまず目に入るのが写真の駕篭です。こちらは小栗公を水沼河原まで乗せ、斬首後に河原に捨て去られたものを村人たちが持ち帰り保管したそうです。「小栗上野介の遺品は驚くほど少ない。それは西軍が小栗家の財産を略奪し、家財道具などは高崎で売却し軍資金として持ち去ったため」と伝えられているそうです。また小栗家だけではなく、東善寺がある当時の権田村一体も西軍によって軍用金がないかと捜索されたそうです。村上住職が「官軍」と呼ばずに「西軍」「新政府軍」と呼ぶ気持ちが伝わりました。そして、無実の小栗公を斬首したことや日本近代化は幕末から始まっていたといった西軍にとって不都合な事実を隠すために「小栗上野介」の存在が歴史から消された、という話も頷けます。
遺品館には駕篭のほかにも槍や鉢割、日本刀などが展示されています。

<遺品館 遺品の少ない理由が切ない>

<遺品館 槍・鉢割・日本刀など>
小栗公の墓。「首と胴体は一緒に」との願いをかなえるために小栗父子の首奪還。
<小栗父子主従供養墓前の説明板>
「首塚」という言葉を聞いたことはありませんか?合戦で打ち取られた首や、斬首された罪人の首を供養するための塚のことで、全国各地に存在しています。当時、首と胴体が別々に葬られるというのは珍しいことではありませんでした。小栗父子の首も、水沼河原で斬首された後、館林にいた西軍総督岩倉具定(いわくら ともさだ)の元へ送られ、館林・法輪寺の墓地に埋められたそうです。ですが、その首が奪還されたというエピソードがあります。小栗公が生前「自分もいつか井伊大老のように殺されるかもしれないが、死んでも首と胴体は一緒にいたいものだ」と語っていた、その願いをかなえるために村民たちが奪還したのです。小栗上野介の最期は救いがないなと思う中で、希望が持てる出来事であり、村民に慕われていた小栗公の人柄が伺えます。
また、墓の傍には小栗上野介が好んだといわれる「小栗椿」と呼ばれる黒椿がありました。椿は花が散るとき首から落ちることから「武士は椿を敬遠するもの」と考えられていたのですが「小栗上野介はそんな迷信を信じない、合理的な人だったのではないか」と村上住職は話します。誰が何と言おうと美しいものは美しい、と言える人だったのでしょう。
村上住職からのお願いがあります。「お墓は見るのではなく、お参りをしてください」とのこと。

<小栗椿と小栗父子の供養墓 写真提供:東善寺>

<小栗上野介の本墓>
展示室。小栗上野介と日本の歴史が展示されています。
<展示室 小栗公がアメリカから持ち帰った「ねじ」等そのままの形で展示されている>
建物内は撮影禁止とのことでしたが、特別に許可をいただきました。こちらでぜひ見ていただきたいのが「ねじ」です。蒸気機関や大きなビル等、小栗公がアメリカの近代化に触れた際に「近代化の原動力は完成したビルや蒸気機関ではなく、それらを生み出す装置と施設にある」そう考え、日本に持ち帰った「ねじ」。帰国後、多くの反対を押し切って横須賀造船所を設立し、ここから日本の近代化が始まります。「幕府の運命に限りがあろうとも、日本の運命には限りがない」と語った小栗公。日本の未来を描き、アメリカに追いつくために日本はどうするべきか、自分事として捉えていたのかもしれません。
この他にも小栗公が飲んだビールの瓶や、小栗公の妻子が会津へ脱出したルートなどが展示されていて「こんなに長い距離を歩いたのか」と切ない気持ちになります。

<展示室 小栗公の写真や歴史、渡米航路等>
本堂。天井画が美しい。小栗公が作った日本初の近代化ホテルの模型も。
<天井画>
こちらの本堂も撮影禁止とのことでしたが、特別に許可をいただきました。こちらは前住職が描いた本堂の天井画です。鮮やかでとても美しいので、ぜひ見ていただきたい。他にも小栗公の遺品である飾り棚や、日本初の近代ホテル「築地ホテル」の模型、遣米使節が乗って渡米した米国軍艦ポウハタン号の模型があります。この模型は村上住職が宮城県古川市の元船員で、船の模型をつくる活動をしていた岡崎さんに頼んで作っていただいたものだとか。なぜこんな模型を作るのか?と尋ねると村上住職は「遣米使節として渡米した小栗公の功績を多くの人に知ってほしい」と語ります。日本では、日本人がサンフランシスコまで練習航海を行った咸臨丸の活躍は広く知られている一方、本来の使命であった遣米使節の歴史は十分に伝えられていません。「言葉だけでは伝えきれないことがある。実際に目で見たほうが、歴史はずっと理解しやすい」と、その思いを話してくれました。確かに、模型だとわかりやすいですし、確実に伝わりました。
本堂の奥に進むと、横須賀造船所150周年記念の特別展示のポスターがありました。東郷平八郎が日露戦争後に小栗家遺族に語ったとされる「日本海海戦の勝利は小栗さんのお陰です」という謝辞から、横須賀造船所が日本に与えた影響の大きさが伺えます。こちらのポスターの頭上には、東郷元帥の書額もありました。小栗貞雄と息子又一(14歳)を自宅に招いた東郷が謝辞を述べてご馳走し、記念に書いてくれた書で、東郷元帥が礼を言った大事な証拠です。父貞雄は「私は小栗家に婿で入った身ですから小栗の血は引いていません。息子が小栗上野介の孫で、名前は小栗家先祖代々の由緒ある名前の又一ですからその名前を入れてください」と言って書き入れてもらったものだとか。

<日本初近代ホテルの模型>

<日本海海戦と横須賀造船所特別展ポスター>

<東郷元帥の謝辞 写真提供:東善寺>
最後に、村上住職は「勝者によって歴史が捻じ曲げられた」「小栗上野介は存在も功績も西軍によって消された」と繰り返しておられました。歴史の教科書では、明治以降の文明開化で日本の近代化が始まったとされていますが、実際には幕末慶応元年から作られた横須賀造船所から近代化が始まっていると言えるのではないでしょうか。逆賊の汚名を着せられた小栗公は、日本の近代化に大きく貢献し、村人からも尊敬される人物でした。東善寺を訪れて、小栗公の視点で歴史を見れば、大河ドラマがより面白くなるでしょう。
インフォメーション
東善寺
住所:群馬県高崎市倉渕町権田169
電話:027-378‐2230
参拝時間:8:00~17:00(16:30まで受付)
拝観料:大人200円 高校生以下100円
内藤由美