谷川岳警備隊の佐藤隊長に聞く「登山で遭難しないための準備と対処法とは?」|前編 【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】

プロの現場!群馬の県境を守る山岳救助の精鋭「谷川岳警備隊」とは
<電話を受け取る佐藤隊長>
道の駅「みなかみ水紀行館」に隣接している、群馬県沼田警察署の水上交番。谷川連峰から尾瀬、日光白根山まで、県境の安全を担う「谷川岳警備隊」の拠点です。
「救助要請の一報が来てから、少しでも早く現場に到着するため、最低でも20〜30分以内には出動できるように準備しています」
佐藤隊長の穏やかな口調の中に、迅速な対応へのプロ意識が漂います。
谷川岳警備隊の隊員は現在14名。20〜40代で構成される精鋭部隊であり、佐藤隊長が最年長です。通常、警察官は数年で異動しますが、谷川岳警備隊は職務の特殊性から長く勤める隊員が多く、佐藤隊長は今年18年目を迎えます。
「警備隊員は、必ずしも登山経験者である必要はありません。基礎体力があり山岳救助をやりたいという意欲があれば、山の経験は積み上げていけるのでまったく問題ないんですよ。今も警備隊の募集は常にしています」
月に2〜3回行われる救助訓練でも、重視するのは山に登ること。
「救助では、何より安全に現場に辿り着くことが重要なんです。まずは、自分たちが誰よりも山を知らなくては」
メジャールートはもちろん、広い山域をカバーするため自主的に山に入る隊員たちも多いそうです。
<画像提供:群馬県警察本部地域部地域課より 沢での訓練>
「谷川岳警備隊」誕生の歴史!昭和の登山ブームによる遭難の悲劇
<日本一のモグラ駅「土合駅」かつては1日で7,000人も訪れた>
群馬県には赤城山や榛名山など多くの名峰がありますが、その中で特定の山の名を冠しているのは「谷川岳警備隊」だけです。その理由は、谷川岳が持つ過酷な歴史によります。
谷川岳警備隊の発足は昭和33年4月。谷川岳へのアクセスが便利になったのは、昭和6年に上越線が開通して以降のこと。昭和31年からの登山ブームで谷川岳への登山者が急増すると、昭和38年には遭難者が400人を超える異常事態となりました。特に一ノ倉沢周辺は遭難が多発し、多くの悲しい事故が起きました。
こうして谷川岳は、世界でも遭難者数が多い「魔の山」として知られるようになります。
また、谷川岳は天候が急激に変化する山域です。
「谷川連峰は日本海側からの雨雲、雪雲をすべて受け止める壁のような存在です。冬場、晴れていても1時間もかからないうちに雪が降ることはよくあります。昔と比べて気象予測は進化しましたが、それでも雷雲は読めないことが多いですね」
こうした特殊な山の事情があるからこそ、谷川岳に警備隊が求められているのです。
<谷川岳の慰霊碑。今も名前が刻まれている>
現代の谷川岳の落とし穴!「まさか自分が」の油断が一番危ない
<画像提供:群馬県警察本部地域部地域課より 谷川岳での搬送訓練>
今も谷川岳では、さまざまな事故が起きていると佐藤隊長は語ります。
「近年では、熱中症が増えています。たとえば2024年の山開きの日は、標高1,500mの天神峠駅でも気温が30℃に達し、救助要請が集中しました。6月から7月初旬の初夏も、熱中症の救助要請が相次ぎます」
熱中症以外にも、谷川岳特有の事故があります。谷川岳は雪のシーズンが長く、およそ6月まで山頂には雪が残り、11月には本格的な雪山シーズンを迎える山です。ゴールデンウィークには雪崩もよく発生し、遭難事故が後を絶ちません。
では、雪山に登れるほどのベテランであれば事故のリスクは低いのでは?と記者が尋ねると、佐藤隊長は首を横に振りました。
「ベテランの方ほど、逆に『慣れ』が危険に繋がります。登山経験が浅い方も含めて共通する最大の原因は、『油断』ですね。雪山では、本当にちょっと一歩踏み外すくらいの油断で滑落してしまうこともあります。一度スピードがつくと止まらず、一気に300メートルや数百メートル単位で落ちてしまいますから」
さらに、事故が最も多いのは下りだと佐藤隊長は語ります。下りは重力に任せてスピードが出やすく、体力がなくなると転倒などの事故に繋がりやすいのだそうです。
<画像提供:群馬県警察本部地域部地域課より 日光白根山での搬送訓練>
佐藤隊長が語る「知っておきたい山の住人たち」
<新緑の谷川岳ハイキングコース>
谷川岳の危険は、滑落や道迷いだけにとどまりません。佐藤隊長は、訓練中に野生動物と出会った経験が何度もあると言います。
「最近では今年の6月、西黒尾根ルートでの訓練中、警戒体勢のクマと出会いました。私ともう1人の隊員が山を登り始めたところ、茂みの中に隠れていましてね。少し前を歩いていた登山者は、木に登っていたクマに気づかず通り過ぎてしまったんです。驚いたクマが木から下りてきてしまい、私たちがクマを登山者との間に挟み込む形になりました。通常であれば逃げたり移動したりするクマが、じっと動かない。これは危ないな、と」
クマに襲われる危険を感じた佐藤隊長は、そのままクマを見ながらゆっくり下山したそうです。大型の野生動物との遭遇もありますが、山である以上マダニの危険も忘れてはなりません。
「私、2回咬まれたことがあるんですよ」と佐藤隊長は苦笑いしました。
「長袖は着ていましたが、服の隙間から入ってきて胸の柔らかい皮膚を咬まれました。感染症の危険があるため、万が一マダニに咬まれたら取らずに病院に行くのが一番です」
<谷川岳は高山植物の楽園>
「魔の山」と呼ばれても観光客や登山者が谷川岳に惹かれるのは、一度訪れると圧倒的な大自然に心を奪われるからかもしれません。遭難救助の最前線で命と向き合う佐藤隊長の話は、安全登山の重要性を教えてくれました。
後編では、山での遭難を防ぐ準備と万が一のときの対処法について、プロならではの具体的なアドバイスを伺います。
後編はこちら https://gunma-kanko.jp/features/327
<参考文献>
群馬県警察本部(昭和38).『この山に願いをこめて』二見書房
インフォメーション
沼田警察署 水上交番 谷川岳警備隊
住所:群馬県利根郡みなかみ町湯原1681-1
電話:0278-72-2049
山域別管轄:谷川・三国・武尊・上越国境・尾瀬・奥日光・皇海山など

杜澤こさゆ