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古墳王国・はにわ天国群馬県で古墳時代へタイムワープ! 【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】

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更新日: 2024年04月11日

群馬県の魅力をぐんま観光県民ライター(ぐん記者)がお伝えします!

国宝「「はにわ」」は、太田市から出土した「挂甲武人埴輪(東京国立博物館蔵)」と高崎市出土の「綿貫観音山古墳のはにわ(群馬県立歴史博物館蔵)」の二つだけ。長らく「はにわ」として唯一の国宝だった「挂甲武人(けいこうぶじん)」は映画「大魔神」のモデルになりました。

前置き

「「はにわ」」とは、3世紀から7世紀にかけて、権力者のお墓である「古墳」の周りに立て並べられた素焼きの土製品です。群馬県でも古墳時代を通じて「はにわ」が作られましたが、近畿地方などで「はにわ」作りが下火になった後でも大いに隆盛したのが群馬の特色です。

初期の「はにわ」は簡素な円筒形でしたが、時代が進むにつれ、当時の生活を反映した人物、動物、家などのバラエティー豊かな「はにわ(形象はにわ)」が作られるようになりました。群馬県内には1万3千基以上の古墳が確認されています。古墳時代を通じて古墳が大量に造営され、群馬県では「はにわ文化」が花開きました。

群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館

渋川市にある「群馬県埋蔵文化財調査センター」は、群馬県内で発掘された埋蔵文化財を調査し、出土遺物管理する施設です。一般公開されている「発掘情報館」収蔵展示室には、ワンフロアに4000点以上もの貴重な埋蔵文化財が展示されています。

取材に協力いただいた杉山秀宏課長によると、太田市内や藤岡市内に県内有数の「はにわ」を焼いた窯跡があり、優れた職人が技術的にも美術的にも優れた作品を西毛から中北毛に多数供給していたそうです。

太田市内で出土した「挂甲武人埴輪」は初めて国宝に指定された「はにわ」です。「大魔神」のモデルになったことで知られます。群馬県内には武人の「はにわ」が多数出土しています。

当時は文字の文化が定着していなかったため、「はにわ」は当時の風俗や生活を知るために貴重な資料となっているそうです。

人物埴輪は、楽器を奏でていたり、巫女の姿であったりと衣装だけでなくポーズや表情も楽しく、1400年以上前の古墳人たちの声が聞こえてくるようです。

動物埴輪の中で数が多いのは「馬のはにわ」です。古代の馬の用途は、乗用のみならず、儀礼、運搬、農耕、軍用など多岐にわたります。当時としては、大陸から渡来したきわめて有用な家畜でした。馬を保有することは「権力の証」でもあり、馬の生産を行っていた古代の群馬県は文化的にも経済的にも豊かな地域だったのです。

杉山課長のお気に入りは、「靫(ゆぎ)を背負った男子」の「はにわ」だそうです。かっこいい頭巾は自慢の正装だったことでしょう。

群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館 館内(左)、人物埴輪「女子」(右)

群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館 器財埴輪「翳(さしば)」(左)、動物埴輪「馬」(右)

群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館 杉山課長と人物埴輪「靫(ゆぎ)を背負った男子」(左)、「靫(ゆぎ)を背負った男子(右)

群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館

住所/群馬県渋川市北橘町下箱田784-2
電話番号/0279-52-2511
営業時間/9:00~17:00 ※入館は16:30まで
休館日/土曜日・祝日、年末年始・年度末年度始
入館料/無料

太田市立新田荘歴史資料館

太田市内で「はにわ」をまとめてみられる場所、といえば「新田荘歴史資料館」です。ここでは太田市内で出土した「はにわ」を数多く展示しています。

太田市の「はにわ」と言えば、国宝「挂甲武人埴輪」です。東京国立博物館所蔵の為、残念ながら太田市にはいません。

しかし、太田市にはもう一人の「スター」がいます。「たかじょうくん」こと「鷹匠埴輪」です(太田市指定重要文化財)。太田市城西町のオクマン山古墳(6世紀末・開発により古墳は消失)から出土しました。「たかじょうくん」は涼し気な目元が高貴なイケメンです。

自慢の鷹を腕に乗せ、幅広のモードな帽子にみずらの髪。袴を身に着けてイヤリングに首飾りまで付けています。

同所から発掘された「飾り馬」(太田市指定重要文化財)は、足が長くスマートです。北欧で幸せを運んでくれる馬の置物「ダーラナホース」に似ています。洗練されたセンスの「はにわ」から、豊かな文化的背景がうかがえます。

ここには世良田諏訪下遺跡から出土した「はにわ」(群馬県指定重要文化財)も展示されています。オクマン山古墳の「はにわ」に比べると、素朴な印象です。ユーモラスな表情を見せる男女の「はにわ」やガッチリ体形でワイルドな目つきの馬からは、古墳時代のたくましさ、生命力を感じます。

新田荘歴史資料館では、市の重要文化財に指定された「鷹匠埴輪」を中心に見ごたえのある「はにわ」が多数展示されています。

新田荘歴史資料館「鷹匠埴輪」

新田荘歴史資料館「飾り馬」

新田荘歴史資料館「世良田諏訪下遺跡」(左)、「世良田諏訪下遺跡」(右)

太田市立新田荘歴史資料館

住所/群馬県太田市世良田町3113-9
電話番号/0276-52-2215
営業時間/9:30~17:00(入館は16:30迄)
休館日/月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
入館料/200円(団体20名以上160円) 

塚廻り4号墳

太田市龍舞町にある「塚廻り古墳群」は、県内でも早い時期に「復元整備された古墳」です。レプリカの「はにわ」が並べられており、「古墳公園」として公開されています。

塚廻り古墳群は、昭和52年に水田地帯で行われた土地改良事業に伴う発掘調査にて複数の古墳(群集墳)が発見されました。当時の風俗や祭祀の様子を模した人物埴輪は、技術的にも美術的にも素晴らしいものばかりでした。

群馬県立歴史博物館及び群馬県埋蔵文化財調査センターに保管・展示されています。発掘された「はにわ」の出土位置も明確な為、資料的な価値も極めて高いものでした。

復元された4号古墳は、6世紀前半に造られた「村長(むらおさ)」クラスの墓と考えられるそうです。

現地は見渡す限りの水田地帯です。墳丘が低く、平地にある古墳ため遠方からの視認性が低いのですが、Googlemapのナビでたどり着けます。

幾何学的で美しい平面が帆立の形に似ている帆立貝形古墳に「円筒はにわ」が配置され、人物、馬、武具、家など多彩な「はにわ」が陳列されています。

杯を捧げる女性、太刀を持った巫女、馬を引く男性、跪く男性はみずらに結った髪の毛まで繊細に表現されています。実際に「はにわ」の並んでる姿には畏敬の念をおぼえます。

現地でコンパスを見ると、主軸方向はきっちり東西に位置していました。「はにわ」たちも揃って西を向いています。

全員が太陽の沈む方向に向いているのは何か意味があるのでしょうか。古代への空想が広がります。悠久の歴史に思いを馳せられる素晴らしい公園です。

塚廻り古墳群(4号古墳)

塚廻り古墳群(4号古墳)

塚廻り古墳群(4号古墳)

塚廻り古墳群(4号古墳)

塚廻り古墳群(第4号古墳)

住所:群馬県太田市龍舞町3089他、現地は「古墳公園」
電話番号:なし(問合せは太田市教育委員会文化財課0276-20-7090)
営業時間:24時間
入園料:なし

天神山古墳・女体山古墳

天神山古墳

群馬県太田市内ケ島町に「東日本最大」の前方後円墳「天神山古墳」があります。
全長210mの長さを誇ります。かつては二重の堀もありさらに大きな古墳であったそうです。

天神山古墳は大きすぎて、「前方後円墳」らしさがわかりにくいのですが、「Googleアース」で見てみると感動します。きれいな前方後円墳です。教科書や本で見た仁徳天皇陵(大阪府堺市)とそっくりです。

天神山古墳は、古墳の大きさや地勢的な位置から「毛野国(群馬県や栃木県西部)の大首長」であったと考えられています。

ここには西日本の有力古墳以外から出土することが少ない「水鳥形「はにわ」」や大王の棺とも称される「長持型石棺」が出ており、ヤマト王権と密接な関係性にあったと考えられています。

天神山古墳の専用駐車場は、南側の線路沿いにあります。周辺は住宅や工場が多く、開発の進んでいる地域です。駐車場から歩いて7、8分で入口に到着します。頂上まで登れますが、ちょっとしたハイキングコースです。歩ける靴で行きましょう。

墳丘の頂きから周囲を見回すと、予想以上の高さに驚きます。5世紀前葉に築造された古墳が今も原型をとどめているのは、大陸からやってきた土木技術者が指導したからだそうです。

電気も重機も存在しなかった時代に、人力で土砂を何層にも重ねて巨大な古墳を造っていくのは、どれほどの時間と人手がかかったことでしょう。

天神山古墳から北東方向に女体山古墳が見えます。同時期に築営された古墳です。天神山古墳の周囲に「陪冢(ばいちょう)」と呼ばれる小型の古墳も残されています。

天神山古墳 Ⓒ太田市教育委員会

天神山古墳

女体山古墳

天神山古墳から歩いて5分ほどで「女体山古墳」へ到着します。

太田市文化財課のWEBサイトに記載された情報によると「墳丘の長さ106m、円丘部84m、高さ7m、造り出し部幅18m、長さ16mの帆立貝形古墳(または造出付き円墳)です。隣接する男体山(天神山古墳の別名)に対して女体山と呼ばれています。」ということです。

東日本一の天神山古墳に比べれば小さな古墳に感じられますが、古墳としては大型に分類されます。

天神山古墳に葬られた王様に寄り添う妻のような古墳です。

葺石が表面にめぐらされているのも天神山古墳と同じです。天神山古墳と女体山古墳は、時期も近く同じ方向で作られており、密接な関係があったと推測されています。

南側の帆立貝の下部にあたる「造出し部」はきれいに残されており、全体が想像しやすい古墳です。

女体山古墳は、天神山古墳と一緒に訪問できます。二つの古墳を散策して1時間強でしょうか。

女体山古墳の埋葬施設は竪穴系と推定されます。竪穴系の古墳は一つの主体部に「埋葬者1名のみ」だったそうです。古墳時代後期には横穴式になり、複数名が埋葬されるようになったそうです。

1500年以上前、ヤマト王権につらなる王様がここにいました。群馬県太田市は、西から到来する最新文化が花開き、古墳建設のために大陸からの技術者も多数往来し、活気あふれるインターナショナルな地域だったのです。

今回の取材をするまで「東日本最大」の古墳が太田市にあったことを知りませんでした。県外の歴史愛好家の知己から「群馬県民はもっと地域の宝に関心を持ってほしい」と指摘されて地元住民として反省することしきりです。

古墳は3世紀後半から7世紀にかけて作られていました。近畿地方では、6世紀の半ば以降には大型前方後円墳の築造は下火となり、関東地方においても6世紀の末までには下火となりました。

今回、群馬県太田市ゆかりの「はにわ」を眺め、有名古墳を訪問したことで、教科書で学んだ日本史がぐっと身近に感じられるようになりました。

天神山古墳(国指定史跡)

住所:群馬県太田市内ケ島町1606

女体山古墳(国指定史跡)

住所:群馬県太田市内ケ島町1508

電話番号:なし(問合せは太田市教育委員会文化財課0276-20-7090)
営業時間:24時間
入園料:なし
駐車場:天神山古墳駐車場
(案内はhttps://www.city.ota.gunma.jp/uploaded/attachment/10862.pdf

女体山古墳(石碑・造出し部)(左)、女体山古墳(全景)(右)

女体山古墳(説明看板)(左)、女体山古墳(造出し部に注目)(右)

取材協力:群馬県埋蔵文化財調査センター・太田市教育委員会文化財課

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齊藤あおい

1970年生。中央大学法学部通信課程卒。前橋市出身。小説家、金融機関勤務等を経て2016年より群馬県太田市藪塚町在住。桜プランニング㈱代表取締役。 Instagram「藪塚通信」@yabuduka_tushin