戦国時代のタイムカプセル 幻の城「松井田城」を探る【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】

写真提供:松井田城城址保存会

更新日: 2024年03月27日

群馬県の魅力をぐんま観光県民ライター(ぐん記者)がお伝えします!

「城」と聞くと、高い石垣や、立派な天守を思い浮かべる人が多いと思います。しかし群馬の城の多くは自然の地形を利用して作られた山城でした。
中でも、城好きライターの私が注目しているのは巨大な山城「松井田城」。今回は、その謎に迫るべく、地元のガイドさんと一緒に歩いてきました。

浅間山の火山灰で埋まった土の城

松井田城は昔から存在は知られていましたが、現在に至るまで調査は殆どされておらず実体は謎の多い山城です。江戸時代、浅間山が大噴火を起こし、松井田にも大量の火山灰が積りました。その時に松井田城に残されていた遺構も火山灰で埋まってしまったといいます。その為、松井田城は現在でも当時どんな設備があったのか、よく分かっていません。

火山灰と土で埋まってしまった横堀の痕跡

今回案内してくださったガイドさんも「登れば登るだけ新しい遺構が見つかる」とおっしゃっていました。このように松井田城はまだ蓋を開けていない、戦国時代のタイムカプセルとなっているのです。お城ファンとしては今後の本格的な発掘調査を期待したいところです。もしかしたら、まだ誰も見たことのないお城の遺構が見つかる可能性も!?

 

秀吉にも真っ先に狙われた!?国境の城、激動の歴史

松井田城の歴史は伝承では鎌倉時代、幕府執権北条時頼が旅の道中、松井田の地に山城を築城した事からはじまったとされます。諏訪氏の時代には諏訪城とも呼ばれていました。
その後は、安中氏や武田氏、武田氏の滅亡後には織田信長の領地にもなりました。
織田信長が本能寺の変で倒れてからは、小田原を拠点とする小田原北条氏の支配に置かれました。この時に城主となったのが、小田原北条氏の重臣、大道寺政繁です。大道寺政繁は松井田城の拡張工事を行ない、松井田城を要害堅固な山城に作り上げました。
その後、豊臣秀吉の小田原攻めにて、松井田城は落城。
松井田城は廃城となり、激動の歴史に幕を閉じました。

 

発見された松井田城の 遺構を見てみよう

松井田城は東西におよそ1㎞、南北におよそ1.5㎞におよび、面積は約75ヘクタールという関東屈指の巨大な山城でした。
小田原北条氏の時代には、本拠地であった小田原城の支城としても使われ、信濃国の国境から碓氷峠を通って北条領に侵入してくる敵を見張っていました。このように松井田城は、関東の玄関口となる重要な防衛の拠点だったのです。
また、松井田城は「山城の教科書」と呼ばれる事があります。
その理由は、山城を代表する「堀」や「郭」といった、基本的な遺構を見る事ができるからです。
ここからは松井田城の代表的な遺構を紹介したいと思います。

松井田城といえば、「連続竪堀」が有名です。

 

「連続竪堀」とは、山の斜面に竪堀を並べて敵の侵入を阻止する設備です。
堀の頂上からは石などを落として、下から竪堀を登ってくる敵兵を妨害していたといいます。
時には熱々の熱湯や、排泄物を流したりもしたとか。現在でも想像するだけで恐ろしい設備です。当時の堀の姿は、火山灰で大半が埋まってしまいましたが、現在でも堀の溝の痕跡を見る事ができます。

こちらは「大手門の跡」と言われています。かつてこちらには、立派な門があったといいます。
その証拠に、現在でも門の礎石にされていたとされる大きな石と石組みが残されています。反対側の礎石は土砂で埋まってしまい現在は見ることができませんが、今後の調査で発掘される事を期待したいです。

こちらは尾根を断ち切り、敵兵の侵入を妨害したとされる「堀切」と呼ばれる遺構です。
当時、こちらの両端には橋が架けられていたといい、当時の姿を想像できる迫力のある遺構です。
戦いの際は両方の土塁に城兵が配置されており、登城路を登って来た敵兵を、弓矢や銃で上から狙い撃ちにする事ができました。当時の松井田城の攻撃力がわかる遺構です。

こちらは「馬出」という設備の跡です。戦いの際、こんもりとした土塁の陰には城兵が配置されていました。兵たちは敵兵がこちらに近づくと、銃などで猛攻撃を加えて、敵の侵入を妨害していました。当時の築城技術と、戦いの模様を想像できる遺構です。
こちらの遺構は安中市指定史跡に登録されています。

松井田城の中でも古い遺構が「安中郭」です。
こちらも安中市指定史跡にも登録されています。
風景に目を向けると、妙義山とかつては城下だった現在の松井田の町並みを見る事ができます。戦いの際、平らに作られた曲輪には兵が待機していました。

安中郭から下って行くと現れるのが、「水の手」です。
戦の際、籠城戦をするには命の源となる水はとても大事なものでした。伝承では、ここから井戸曲輪を経由して、滑車で本丸に水を汲み上げていたと言われています。
さらにこの上には、まだ未発掘の遺構があるといい、今後の調査が楽しみな遺構の一つです。

登って約2時間ほどで、松井田城の頂上である「本丸」に到着です。
戦いの際、本丸には城主がおり、本丸が敵に攻められて陥落する事は、落城と同じ意味を持っていました。本丸はお城の心臓部とも言える、とても重要な場所でした。
現在、本丸には虚空蔵堂があります。
毎年1月13日には、地域の復興、学業成就、家内安全を願い、虚空蔵山祭りが行われています。 お祭りでは、お札やお守りの配布も行なわれているそうです。

 

松井田城主、大道寺政繁デザインの限定御城印 をゲットしよう

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松井田城では現在、全国的にブームになっている御城印を購入する事ができます。
種類は2種類あり、2種類とも背景には城主の大道寺政繁の家紋である、アゲハ蝶の紋と大の字の旗印がデザインされています。

御城印の取り扱い場所は、案内所のお写真をご覧になってください。
大型連休中は駐車場に特設される、松井田城址保存会の売店で購入する事もできるそうです。ぜひ登城記念に、ゲットしてみてはいかがでしょうか?

写真提供:松井田城城址保存会

現在、松井田城の整備やガイドボランティアをされているのが、松井田城址保存会の方々です。今回の取材でも大変お世話になりました。
毎年、春にはガイドツアーも行われ、市内や県内外の方々に、松井田城の魅力を発信されています。

 

番外編 当時の戦いを”S字状空堀”で再現!

ここからは、お城ファンの私が松井田城のオススメスポットを紹介したいと思います。

こちらは、安中郭のコースにある「S字状空堀」です。
今回は、侵入禁止の所を特別に許可をいただき、ガイドさんに当時の使い方を再現していただきました。戦いの際、土塁の上には城兵が配置され、堀の中に誘導された敵兵を縦横から銃で狙い撃ちにできる仕組みでした。わざわざ堀をS字型に作ることによって、敵兵の進むスピードを減速させて、狙い撃ちしやすいようにしていました。
ガイドさんにお話を聞いて、当時の緊迫した戦いの模様が蘇って来るようでした。

ぜひ、みなさんも松井田城で、戦国時代のタイムカプセルを開けてみてはいかがでしょうか?

 

インフォーメーション

松井田城城址保存会

〒379-0215 

安中市松井田町高梨子135-1

TEL 090-4069-2514(金井)

Eメール mastuidajyou@gmail.com

https://matsuidajyou.sakura.ne.jp/index.html

 

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山田 実季

小さい頃から生粋の歴史マニア。特に戦国武将や山城を愛する。現在は全国のお城めぐりにはまっています。地元で町おこしや山城でガイドのお仕事もしています。