県内最大の温泉郷「みなかみ18湯」
更新日: 2024年01月23日
平成17(2005)年10月、旧水上町と旧月夜野町と旧新治村が合併して「みなかみ町」が誕生しました。これにより「水上温泉郷」「月夜野・上牧温泉郷」「三国・猿ヶ京温泉郷」を有し、温泉地(宿泊施設のある温泉)の数も県内最多の18カ所という名実ともに群馬を代表する温泉町となりました。
しかし広域の合併による温泉地としての総称を、どのような呼び名にするのがふさわしいか? 町全体のブランドとして打ち出していく必要性が高まり、議論が重ねられていました。
そんな折、私は平成23(2011)年から2年間かけて、みなかみ町に点在する18の温泉地の全宿(みなかみ町観光協会加盟の温泉宿泊施設)を取材する機会を得ました。そして書き上げた本が『みなかみ18湯』(上毛新聞社)の上下2巻です。
同時に、この本のタイトルも新しい名前の候補に挙がりました。すると、全温泉地の合意が得られました。もし仮に温泉地数に増減があった場合でも、十八番(おはこ)の意味を持つ「18」という縁起の良い数字にこだわり、商標として継続していくことも同意されました。
著者としても、群馬を代表する温泉町の名付け親になれたことを心より嬉しく思います。
<水上温泉郷>
『みなかみ18湯』には、どんな温泉地があるのでしょうか?
まずは旧水上町の中心であり、町の玄関口JR上越線「水上駅」がある水上温泉から紹介しましょう。
古くは「湯原の湯」といわれました。平成の大合併後の現在でも、水上温泉といえば湯原地区のことを指します。昭和3(1928)年10月に上越線が水上駅まで開通すると東京方面からの浴客が増え、急速に発展し水上温泉と呼ばれるようになりました。現在、9軒の宿が営業しています。
谷川温泉は、名峰・谷川岳のふもとに湧く水上温泉の奥座敷的存在。美しい姫が川で身を清めていたという伝説があり、その姫が裾を洗ったら川の水が湯に変じたことから「御裳裾(みもすそ)の湯」と名付けられました。温泉街の奥には谷川富士浅間神社があり、開湯伝説の姫・木花咲耶姫(このはさくやひめ)が祀られています。
与謝野晶子や若山牧水、太宰治ら文人墨客が多く来遊していることでも知られます。7軒の宿があります。
うのせ温泉と湯檜曽(ゆびそ)温泉は、山間にひっそりと佇む小さな温泉地です。
うのせ温泉は、カワウがたくさん飛来したことから「鵜の瀬」と名付けられたという説がありますが、地元では湯の温度が低かったことから「ぬる湯」と呼ばれ、湯治場として親しまれていました。利根川右岸に3軒の宿が点在しています。
湯檜曾温泉は利根川の支流、湯檜曽川沿いに湧く古湯。その昔、源氏に滅ぼされた奥州の豪族が、この地にたどり着き温泉を発見したと伝わります。湯にひそんでいるという意味から「ゆのひそ村」と呼ばれるようになりました。5軒の宿が寄り添う静かな温泉地です。
向山(むこうやま)温泉は、スキー場に湧く温泉地。湯は肌に優しいアルカリ性単純温泉で、保湿効果が高く「若返りの湯」とも呼ばれています。5軒の宿があります。
上の原温泉は、リゾートホテル内に湧く一軒宿。アルカリ性単純温泉の湯は、湯上りに肌がスベスベになることから「美肌の湯」とも呼ばれています。
宝川温泉は、言わずと知れた群馬を代表する秘湯の一軒宿です。近年は、その独特の温泉文化や風情を求めて外国人客が多く訪れています。源泉の総湯量は毎分約1,800リットル。川沿いに4つある露天風呂の総面積は約470畳分。名実ともに天下随一と賞されています。
水上温泉郷の最奥であり、県内最北の温泉地が湯ノ小屋温泉です。奥州藤原氏の落人伝説が残っていることから、藤原郷とも呼ばれています。
その昔、川のほとりに小屋がけした露天の浴場があったことから「湯ノ小屋」と名が付いたといわれています。この一帯は奥利根温泉郷とも呼ばれ、利根川支流の木ノ根沢沿いに古くから営む旅館と、源泉を引き湯したスキー場周辺に点在する民宿やペンションなど8軒の宿あります。
<月夜野・上牧温泉郷>
上越新幹線「上毛高原駅」からも近く、関越自動車道「月夜野IC」と「水上IC」の間に位置する交通至便な温泉郷で、古くから湯治場として栄えた魅力的な温泉地があります。
上牧(かみもく)温泉は、昔から「化粧の湯」「仕上げの湯」と呼ばれ、保温保湿にすぐれた美容効果のある温泉として親しまれている名湯です。「裸の大将」で知られる画家・山下清が作画のために逗留した温泉としても知られています。4軒の宿があります。
奈女沢(なめざわ)温泉は、知る人ぞ知る秘湯の一軒宿。古くは「上杉謙信の隠し湯」ともいわれ、万病に効く霊泉として現在も湯治客が訪れています。昭和54(1979)年、上牧温泉とともに国民保養温泉地に指定されました。
真沢(さなざわ)温泉は大峰山の中腹、森と棚田に囲まれたのどかな風景の中に建つ一軒宿です。源泉はアルカリ性単純温泉で、ローションのようにトロンとした独特の浴感が特徴。保湿効果があるメタけい酸を多く含んでいることから「美人の湯」と呼ばれ親しまれています。
旧町名を今に残す月夜野温泉は、三峰山に抱かれた風光明媚な高台にポツンと建つ一軒宿。月夜野盆地を見下ろす“天空の湯舟”と呼ばれる浴室が自慢。眼下には青々とした棚田が広がり、遠景には上州の峰々が見渡せます。(写真は、三峰の湯)
<三国・猿ヶ京温泉郷>
このエリアの代表は猿ヶ京温泉です。
昭和33(1958)に完成したダム湖により水没した2つの温泉地(湯島の湯、笹の湯)にあった4軒の宿が移転して、新しく生まれ変わった温泉地です。
猿ヶ京という地名には、こんな由来があります。永禄3(1560)年、上杉謙信が越後から三国峠を越えて関東平野出陣の際、この地に泊まり、不思議な夢を見ました。宴席で膳に向かうと箸が1本しかなく、ごちそうを食べようとするとポロポロと歯が8本抜けたといいます。このことを家臣に告げると、「これは関八州(関東一円)を片っ端(片箸)手に入れる夢なり」と答えたので、謙信は大いに喜び、「今年は申年で今日は申の日。我も申年生まれ。ここを『申が今日』(猿ヶ京)と名付ける」と申し渡したといいます。湖畔には、その時、謙信が植えたとされる「謙信の逆さ桜」が名所として残っています。
現在は、21軒の宿が赤谷(あかや)湖畔に建っています。
湯宿(ゆじゅく)温泉は、開湯1200年の古湯です。
昔から湯量豊富な温泉と知られ、源泉は温度が高いため加温することなく、どの宿でもかけ流しのスタイルを守っています。また石畳が続く温泉街には4つの共同湯があり、地元住民の社交の場として親しまれています。現在、3軒の宿があります。
赤岩温泉の名の由来は、近くに景勝地「赤岩の景」と呼ばれる大岩があったから。大正時代に板割職人の初代が湯を発見したため、敷地内には木工職人の守護神と崇められている聖徳太子像が祀られています。源泉名は「太子の湯」。昔からリウマチや神経痛に効くといわれ、長期滞在する常連客が訪れる湯治場の一軒宿です。(現在は休業中です。)
高原千葉村温泉は、その名の通り千葉県千葉市が昭和48(1973)年に、市民の保養を目的として建てた施設です。泉質は硫化水素型の硫黄泉。県内では数少ない、季節や天候により乳白色やエメラルドグリーンに色を変えるにごり湯です。千葉市民以外でも利用できましたが、現在は入浴としての受け入れは行っておらず、ちばむらオートキャンパーズリゾートとしてリニューアルされています。
川古(かわふる)温泉は、昔から「川古のみやげは一つ杖を捨て」と言われるほど、湯治場として愛されてきました。湯の起源は不明ですが江戸後期には、すでに温泉が存在し、大正時代には湯治客が入りに来る湯小屋があったといいます。
源泉の温度は約40度。加温することなく、今でも「持続浴」「微温浴」と呼ばれるぬるい温泉に長時間入浴する独特な入浴法が続けられています。たった一軒の宿で、湯と宿を守り継いでいます。
「みなかみ18湯」の最西端に位置する法師温泉。1200年前、弘法大師により発見されたことに由来します。
湯は全国でも1%未満しか存在しないと言われる、浴槽直下から源泉が湧き出す足元湧出温泉。約42度の湯が加温も加水もされることなく、空気にも触れずに肌にまとわりつく、まさに“奇跡の湯”です。与謝野晶子や若山牧水、直木三十五、川端康成ら文人たちが、この湯につかり作品を残しています。
昔は数軒の宿がありましたが、現在は一軒の宿が湯治場としての歴史と文化と湯を守り続けています。
18湯のうち、いくつかの温泉地は一軒宿であるため現在、休業している宿があります。私を含め温泉ファンは、一日も早く再開する日を待ち望んでいます。
入って残そう!群馬の温泉
今後も「みなかみ18湯」が多くの人たちに愛され続ける温泉郷であることを願っています。
名付け親として……
※各温泉地での施設数は、観光協会加盟の温泉宿泊施設で表記しています
温泉ライター 小暮 淳 (こぐれ じゅん)