甘じょっぱさがクセになる!群馬県のソウルフード「焼きまんじゅう」
更新日: 2024年08月19日
タレが焦げる香ばしいかおりが食欲をそそる群馬名物「焼きまんじゅう」。県内で知らない人はいないと言っても過言ではありませんが、県外の人には馴染みがないかもしれません。
一般的に「まんじゅう」と言えば餡が入っているものを想像しますが、焼きまんじゅうの基本は餡なし。蒸した「すまんじゅう」を竹串に刺し、味噌ダレをたっぷり塗って焼きあげます。焼く前の「すまんじゅう」はふわふわでまんじゅうと言うよりパンに近い食感ですが、焼くことで外はカリッと中はモチモチに。素朴なまんじゅうに絡むタレの甘じょっぱさは、癖になる味わいです。
焼きまんじゅうはどのように生まれ、郷土食として浸透していったのか。焼きまんじゅうの歴史を紐解いてみましょう。
■群馬県民は「粉もの」好き
焼きまんじゅうの背景には、群馬県に根付く「粉もの文化」があります。群馬県は日本で有数の小麦の生産地。水はけの良い土壌と、適度に乾燥した冬のからっ風などの自然条件が小麦の栽培に適しており、秋に米を収穫した後、小麦を栽培する二毛作が古くから盛んに行われてきました。
米は貴重な収入源としてほとんどが出荷に回され、農家の食を支えていたのは小麦でした。幅広に打った小麦の麺を野菜と一緒に煮込んだ「おっきりこみ」、小麦粉を水で溶いて丸めた「すいとん」は日常的に食卓にのぼり、農休みやお盆などの年中行事には、「うどん」や「まんじゅう」がもてはやされました。
■ルーツは酒まんじゅう
多様な粉食が生まれる中で、焼きまんじゅうが登場したのは江戸時代後期。農村家庭で作られていた餡なしの酒まんじゅうがルーツだと言われています。小麦粉に甘酒やどぶろくを混ぜ、発酵させて蒸し上げた酒まんじゅうは時間が経つと固くなりやすく、農家では固くなった酒まんじゅうを七輪や火鉢の火であぶり、砂糖入りの醤油や味噌をつけて食べていました。
まんじゅうを竹串に刺す独特のスタイルは、商品化される過程において扱いやすいようにと考えて生まれたもの。屋台の芋串がヒントになったとも伝えられています。
■江戸時代から食べられてきたおやつ
焼きまんじゅう発祥のお店がどこかについては諸説がありますが、1857年創業の「原嶋屋総本家」(前橋市)、1825年創業の「東見屋饅頭店」(沼田市)、江戸末期創業の「田中屋本店」(伊勢崎市)など県内には150年以上続く老舗焼きまんじゅう店が存在します。古くは「味噌付けまんじゅう」や「味噌まんじゅう」と呼ばれていたそう。沼田市では今でも「味噌まんじゅう」の呼び方が一般的です。
昔の焼きまんじゅうは現在よりも大ぶりで1串に5個刺してあり、農作業の合間のおやつや、製糸工場や織物工場で働く女工たちのおやつとして広まっていきました。繭や絹織物の取り引きで訪れた人が、おみやげに買っていくことも多かったようです。
現在も日常的なおやつとして親しまれており、祭りや縁日の屋台に焼きまんじゅうの露店は欠かせません。伊勢崎市の伊勢崎神社では毎年1月11日に、直径55cmの巨大なまんじゅうを焼いて参拝客に振る舞う「上州焼き饅祭」が開催されます。
■「餡なし」「餡あり」どっちがお好み?
焼きまんじゅうは「餡なし」が基本形ですが、餡入りの焼きまんじゅうも存在します。沼田市や伊勢崎市のお店で売り出されたのが始まりと言われていますが、今では県内全域に広まっています。焼きまんじゅうが話題に上れば、「餡なし」派と「餡あり」派で論争が繰り広げられることも。
近年ではマフィンやラスク、パフェ、プリンなど焼きまんじゅうの“進化系”も続々と登場。自宅で焼いて食べられるよう真空包装された焼きまんじゅうも販売されており、お土産にぴったりです。
でもやっぱりお店で焼きたてを頬張るのが一番! お店によってまんじゅうの食感や焼き加減、タレの味や濃度など個性はさまざまです。食べ比べを楽しんでみてはいかがでしょう。
県内で焼きまんじゅうを楽しめるお店はこちら