江戸時代のイメージがひっくり返る?よみがえる人々の暮らし「やんば天明泥流ミュージアム」
更新日: 2023年02月14日
今から約240年も前の「江戸時代」の地方の村の生活をイメージする時、どのような光景が思い浮かびますか?「江戸時代」というと、江戸っ子がたむろする江戸の下町のイメージが浮かぶ一方で、その当時の地方の暮らしというと、あまりイメージがない、あるいは重い年貢に苦しみ、貧しい暮らしを送っている・・というイメージもあるかもしれません。しかし、そんなイメージを覆す歴史的展示物を群馬県で見ることができます。今回は浅間山大噴火に関する展示施設「やんば天明泥流ミュージアム」(群馬県長野原町)をご紹介します。
「やんば天明泥流ミュージアム」ってどんな施設
1783年(天明3年)、長野県との県境にある浅間山で大噴火が起こりました。その際、土石なだれが発生し、それらが吾妻川になだれ込み泥流となり、約20kmも離れた八ッ場の村々を呑み込み、さらに利根川を流下し、1500人以上の人々が亡くなるという大きな被害をもたらしました。この泥流を「天明泥流」と言います。それから時がたち、八ッ場ダム建設にともない実施された26年間の大規模な発掘調査では、縄文時代から江戸時代までの遺跡が発見され、そこから明らかになった被害の全貌や村民の当時の暮らしを物語る生活用品およそ500点を展示しています。
貧困なイメージとは真逆!豊かな暮らしだった証拠とは
まず、噴火前の八ッ場地域はどのようなところだったのでしょうか。シアター室で上映される天明泥流のストーリーを見た後、「天明泥流展示室」では、当時のふたつの村(川原畑村・川原湯村)を再現した1/750のジオラマがありました(写真左)。屋敷を再現したジオラマ(写真右)では、大勢の人を集められる客間や床の間があることから村の役人を務めていた人の住まいと考えられます。輸送用か農作を手伝っていたのでしょうか、屋敷では馬も一緒に暮らしていたようです。
同展示室では、当時の村民の生活用品が展示されており、その中には、「漆塗りの椀」がありました。昔、日本では漆を使った工芸品は豊かさの象徴だったので、村民はある程度豊かな暮らしをしていたことが想像できますね。
江戸時代の椀と、現在私たちが使っている椀が全く同じ形をしているのがなんだか不思議です。
その他にも、酒の席で必要だったのであろう(?)8分目以上注ぐと底の穴から一気に流れ出てしまうからくり酒器「十分盃(さかずき)」や、お歯黒やくし、手鏡といった化粧道具など、山間部で使っていたと思えないほど豊かな生活の様子がうかがえるものもあります。
約240年前の「梅干し」が出土!?
せっかくミュージアムに来たら、レアなものを見てみたいですよね。そんな願いをかなえてくれる展示物がありました。なんと江戸時代の「梅干し(種)」です。普通、土の中に埋まってしまうと分解されてなくなりますが、分厚い泥流にパックされたことから空気に触れることなく、奇跡的に残っていました。全国的に見ても、こんなに保存状態がよく残っているのは珍しいそうです。
泥流が村を襲った時、人々はどうしたのか
暮らしの展示室の次は、村民を襲った泥流の威力とその被害について学んでいきます。泥流は八ッ場ダムに沈む村々を約3mの厚さで埋め尽くしました。展示物「天明泥流堆積地層の剥ぎ取り」では、その地層の厚さを実際に見ることができ、泥流の威力の凄まじさが一瞬で分かります。
その他に、元の場所から15km以上離れた下流で発見されたお寺の釣り鐘や、割れた茶釜などからは自然災害の恐ろしさをひしひしと感じます。中には「煙菅(きせる)に残る刻みタバコ」なども。タバコを用意していたにもかかわらず、吸う暇もなく泥流が襲ってきてしまい、煙管だけが残った、と推測できます。
泥流はいつもと変わらない日々を過ごしていた人々の暮らしを一瞬で奪っていったのです。
災害の記憶を後世に伝える
浅間山大噴火は当時大きく注目され、なんとオランダまで伝承されていきました。天明泥流に関する最後の展示室では、被害状況の文献や噴火時の様子を描いた絵図などが並びます。群馬県嬬恋村(つまごいむら)・長野原町・伊勢崎市では、現在でも毎年供養祭が行われており、噴火で亡くなった人を弔う文化が残っています。江戸時代の人々がこの災害をさまざま方法で後世に伝え残そうとしたことが分かります。
「つつましくも幸せであった八ッ場の村々の人々暮らしを見ると、江戸時代の山間部の貧しい暮らしというイメージが変わると思います。また、自然災害といかに向き合うかを考えてもらうきっかけになれば」と案内してくれた同館の学芸員の高橋さん。
群馬県民にはおなじみ「上毛かるた」の体験も
「やんば天明泥流ミュージアム」の隣には八ッ場ダム建設により、水没地から移築した旧長野原第一小校舎の見学もできます(入場無料)。こちらは、1911年〜2002年まで使用されていた校舎の一部で、懐かしい当時の机や教材を見ることができますよ。
この学校の卒業生でもあり、群馬県民にとっては子どもの頃からなじみ深い「上毛かるた」の作者でもある浦野匡彦(うらのまさひこ)氏に関連した展示や「上毛かるた」の体験コーナーもあります。校舎でかるたをやってみると、つい雰囲気のせいか真剣になってしまいました。また、天気のいい日には校舎の窓から八ッ場あがつま湖を眺めることができ、美観スポットです。
いかがでしたか?過去に起きた災害を知ることで、今を生きる私たちが今後、災害大国の日本でどのように暮らしていくのかを考えるひとつのきっかけになります。
ぜひ群馬県の新たな歴史について発見しに行ってみてください。
動画でミュージアムが楽しめます。
Youtube「ながのはらチャンネル」もご覧ください!
【インフォメーション】
やんば天明泥流ミュージアム
〒377-1309 群馬県長野原町大字林1464-3
TEL:0279-82-5150
閉館日:水曜日(水曜日が祝日・振替休日の場合はその翌日)、年末年始
開館時間:9:00〜16:30(最終入館16:00)
料金:一般600円、小・中学生400円
※町民無料
https://www.town.naganohara.gunma.jp/www/yamba-museum/
アクセス:関越自動車道渋川伊香保ICから車で約60分(ナビは「道の駅 八ッ場ふるさと館」を設定)/上信越自動車道碓氷軽井沢ICから車で約75分/JR吾妻線長野原草津口駅からタクシーで約10分/道の駅八ッ場ふるさと館から徒歩約10分
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります。お越しの際は事前にご確認いただくことをおすすめします。
※2023年1月時点の情報です。